2014年10月3日金曜日

3日間の結論




これからも書き続けるんですけど
とりあえずこの3日間での現段階での僕の結論を書きたいと思います。

準備いいですか?笑
正直、疲れます。

僕なりに今日はぶっ飛ばしてますので

1日目「DUCT」
http://fenrir-shop.blogspot.jp/2014/10/blog-post.html
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2日目「昨日のブログ辻褄はかっこよさにつながるのか?」
http://fenrir-shop.blogspot.jp/2014/10/blog-post_3.html
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では本題
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まず、こうやって論理だてて理屈で考えようとする事が
すでにカッコ悪いと言う人もいると思いますが
僕は全然そうは思っていません。

理屈で考えず’本能’だけでかっこいい人とは天然でカッコいい人所謂 ’イケメン’です。
みんながこうである訳がない。
そんな恵まれた、限定された人たちを賛辞するためだけの言葉の訳がないのです。
そもそもそんな人はいないという主張は後で書く文から 読み取れると思います。


刀語で「自分がそこにいるのに、自分探しなんかできない」と言うように
ナウシカが「人は闇の中でまたたく光だ」と言うように
 攻殻機動隊の素子が「人間が人間であるための部品が決して少なくないように、
自分が自分であるためには 驚く程 多くのものが必要なのよ。
他人を隔てるための顔
それと意識しない声
目覚めの時に見つめる手
幼かった頃の記憶
未来の予感
私の電脳がアクセスできる膨大な情報やネットの広がり それら全てが
私の一部であり  私という意識そのものを生み出し
そして、、、同時に
私をある限界に制約し続ける。」

(素子長い、、笑)
 ナウシカと素子の言葉は個人的にかなり大好きでよく話しに出します。

ここで言う制約とは’個’の事だと思います。
昨日のblogの言葉に置き換えるなら’個人的な希望’です。
個(すなわち個性やファッションの根源的な主張 アイデンティティ)
を求めれば求めるほど広がりはなくなり
細く わかり易い 利己的な主張になってしまうということです。
ですがそれは’強い’のです。


同じく攻殻機動隊では同時にこの言葉があります
(コリント人への手紙引用なので、聖書からですが )

童のときは語ることも童のごとく
思うことも童のごとく
論ずることも童のごとくなりしが
人となりては童のことを捨てたり

 そしてコリント人への手紙にはこの文も
我らの知るところ全からず
我らの預言も全からず。
全きものの来らん時は全からぬもの廃らん。

今我らは鏡をもて見るごとく、見るところ朧なり。
されどかの時には顔をあわせて相見ん。
今我が知るところ全からず、されど かの時には我が知られたるどとく全く知るべし

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どんだけ昔の言葉使ってんだよ と 
日本語でおk ですね。

つまりは、前の自分は未来の自分のことなど分からなく
未来の自分は過去の自分とは絶対的に違うということです

そして、私たちには分かりえない事が存在して
完全な預言は人には出来ない
それは神のみができる事であって私たちはその不完全さを忘れてはいけない
と解釈します。


ですが、人間の主義主張をそれたらしめる為には
強度として 制約と契約が必要ということを昨日書いて とりあえず仮定しました。

次に上の言葉では定まり続けることは出来ないとあります。

これが矛盾点です。

この矛盾にこそ僕は制約されつづけ同時に自分の意思でここに
何度もたどり着くことを契約し それを更新しつづける事で
矛盾に囚われません。
これが僕の美の定義の本質です。

ですが、これだけでは完成しません。補足を続けます。

これらは、一つの価値観であって、真理では決してありません。
というか、人が真理を口にすることは出来ないし
その時点で制約と契約が更新されず
矛盾に囚われます。

同じように、主義主張を掲げるならば矛盾につかまります。
だからこそ’個人的な希望’が必要になると昨日も書きました。
この希望というのは、持っている人より’持っていない人’のほうが
多いに決まっています。持っているとは、
満足し、ありのままでいつづける人です。

宗教の話しはややこしいですが、キリスト教的な意味あいでの性悪説だと思います。
(もしかしたら仏教でいうところの意味合いかもしれない)

ここで言う悪とは所謂 ’悪い事’ではなく人は等しく’持っていない人’であって
理想を求める姿勢にこそ善(言わずもがな所謂 善ではない)があるんじゃないか
という意味合いで使用しました。

これらを踏まえて一旦 結論を出すと、
「辻褄が合っていること これはもっとも シンプル
に主義主張をしやすくする土台」であって それそのものが
’かっこよさ’に繋がっているわけではない

制約と契約  これは、
辻褄を合わせるとめの動機と行動を結びつけるエンジンのようなものである。

行動だけでは主張するには弱く それには動機も必要になる。
ここで書いた’個人的な希望’です。

しかし、それは矛盾をひきおこす
(全ではなく個だから)
(素子の言葉を思い出して  一つのものを構成する物質として全ては複雑に重なっている)

それによって、個をすて全を見て
全の主張をする
それは問題を包容しすぎている為、制約が弱く
主張として’弱い主張’になる

そして個に立ち返る 制約と契約の更新をくり返すことで
自分を制約され続け また繰り返すこと(制約)をし続けることを契約する事ができる。

これが僕の今出ている一番 強い主張の仕方の構造です。

当然 こんなものは言葉遊びにも捉えれるし、理屈で理屈を重ねた自己言及のパラドックスにも
似ています。

ですが、自分の好きなものに対しての最大 の愛情表現は考え続けること
だと思っています。


お疲れ様でした、、、
やっぱり今日も商品紹介どちみちこの流れで出来ませんよね笑

では、明日も宜しくお願いします!

桑原

lilith art duct/fenrir
06-6535-0553
大阪市西区南堀江2-9-9 谷井bld 2F

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